2010 年 12 月 5 日 | カテゴリー: コラム

DAAD のお世話になりながらドイツの大学院に行き、そこを修了したのが2008年。日本の学部では情報工学を学び、ドイツでは Computational Linguistics を学んだ。早いもので、あれからそろそろ2年間になる。その後私は日本の企業に就職し、1年ほど働いた後に今の職場を見つけ、去年の2009年の12月からウィーンにある会社で働いている。

私は高校生の頃にアメリカに留学していた。2000年から2001年にかけての頃で、まだ日本 (少なくとも私の出身地の沖縄) では ISDN (ADSL ではない) という言葉が普通に使われていた時代だったと記憶する。私はテキサスにいたのだが、そこのインターネット環境というのもダイアルアップ方式 (つまり普通のアナログ電話回線) だった。お世話になっていた家庭にインターネット環境が導入され、画面上に日本語の文字が表示されたのに感動したのを覚えている。周りに日本語を話す人は皆無で、日本語の文字も持参した本に書かれているだけという状況がその感動を大きくしたのだろうと想像する。

あれから10年ほど経った。確かにオーストリアにいて日本語の書籍を手に入れるのは楽ではない (入手は不可能では無いのだが、日本国内で発売された本を買うように気軽には行えない)。しかし今では、日本語のオンライン記事を読むどころか、日本国外にいながらにして、特別な装置などなしに日本語で情報発信することができる (もはやインターネット環境やパソコン、携帯電話は特別な機器などではない)。

日本国外で日本語も読み書きできるが、日本の中にいながらも英語などの外国語で書かれたコンテンツにアクセスすることができる。今ではそれが当たり前の様に感じられるかも知れないが、インターネットが普及する以前の外国語コンテンツのメディアと言えば、雑誌を含む洋書か衛星放送だったはずだ (私は米軍基地からのラジオ放送をよく聴いていた)。今ではインターネット経由で簡単に (ほとんどの場合無料で) 情報にアクセスすることができる。

情報やコンテンツにアクセスするために、世界のどの地域にいるかが、以前ほど重要では無くなっている。そういう意味では物理的なモノのほうが、(重量が存在するため) スタートからゴールまでの距離をより意識しなければならないし、モノの移動だけで大きな市場が生まれている。逆に情報のやりとりをするときに意識せざるえないことは、その情報が書かれている言語を理解することができるかや、電話する相手の現地時間など、これまであまり考えなくても良かったことになる。世界はフラット化しているかも知れないが、それでも地球は丸いのである。

結局何が起こっているのだろうか?一言で言えば、「アクセスが容易になった」ということだと私は考える。国外に移動することが今までに無いほど楽になり、中国で生産された衣類を多くの人は着ながら、投資家は常により良い投資先を (文字通り世界規模で) 探している。以前では物理的な障壁や、技術的な問題により、これらを実現することができなかったが、今ではテクノロジーにより、我々はより容易に (情報のやりとりから、資本の移動や物流を含めた広義の) コミュニケーションの壁を通過することができるようになった。

何が変わっていないのだろうか?その中心にある人間の考え方が一番変わっていないと私は思う。人が考え方を変えるには時間がかかるし、場合によっては世代交代が必要な場合もあるだろう。それでは我々の未来の姿とはどのようなものになるのだろうか?

コミュニケーションが容易になった分だけ、コミュニケーションの末端 (ピア) 同士のやりとりが、間を介さずにより容易に行える様になり、その結果、個人が重要になるというのが私の予想である。今までは決して出会うことの無かった人たちに、今では (恐らく直接では無いにしろ) 会うことができるようになっている。今まで以上に、何をやっている「個人」なのか、どういう意見を持った「個人」なのかが重要になってくる (その評価を行うのが今までに無いほど楽にできるため)。

それと共に、1つの側面からだけで個人を捉えるのが今まで以上に難しくなるだろう。コミュニケーションが容易になったということは、同じ人間が、全く異なる社会活動を営むこともできるようになるということだ (例えば企業で働きながら、ボランティアの翻訳とプログラミング活動を行ない、たまに新聞に記事を書く — 全て私のことです)。「何をされているのですか?」という質問が職業を必ずしも意味しなくなるし、もしかしたら “What do you do for living?” という質問も職業とは関係の無い文脈で使用されることが一般的になるかも知れない。そういう意識を持ちながら、例えば「連帯責任」という言葉がどれほどの意味を持つのか私は疑問に思うし、社会的に責任のある職業にいる人に、今までのような倫理観が求められるかも分からない。

良い時代になったものだと思う。

掲載日付 : 2010 / 11 (Echo)

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2010 年 12 月 4 日 | カテゴリー: ひとりごと

今回沖縄に行って、色々なことを発見する事ができた。沖縄にいながらにして異国にいる様な感覚を覚えたというのもあるが、他にも個人的に驚く事があった。

沖縄では何人もの友人と会って話をしたのだが、その中で複数の人から以下の様な事を聞いた。曰く、私を嫌っている人は (少なくとも私が学部生の頃) 結構な割合で存在していて、(その友人からすると) あからさまに嫌っているというシグナルを送っていたらしい。他にも、私の事を話す時にネガティブな文脈で (つまり話している本人は私の事をあまり快く思っていないながらも) 話す人も結構いたとかなんとか。

幸運なことに私は上の様なシグナルを殆ど全く認知する事無かった。実際に上の話を聞いて私はかなり驚いたのだが、それは私がそれらのことを知らなかったからに他ならない。話された内容には少しショッキングな事もあったのだが、それだけ私が鈍感だったということなのだろう (そしてそれは幸運だったと思う)。

私が鈍感なのは良いとして、何故 (一部の) 人は私を嫌うのだろうか。想像するに、主には私が彼らとは違う (違いすぎる) 思考をしているからだろうと考える。他にも状況をあまり考えずに自分の意見を言ったりとか (そういえば今回の沖縄滞在中に、初対面の人に向かって率直に「沖縄の将来はお先真っ暗だと思います」と (話の流れから) 言ったらあからさまに不快感を示された)..。

幸運なことに私は「変人は褒め言葉」を有言実行しているような学部に在籍していた。おかげで結構色々と好き勝手やっていたのだろう (私個人はそこまで好き勝手やったという記憶はないのだが、想像するに多分そうなのだろう..)。学部時代に出会う事のできた友人はそういう状況で出会ったという意味でも私の大きな財産だと思う。そういう意味でも上の学科に進んだのは個人的に非常に良い選択だったと考えている。私の性格を収支で見ると、(想像上の平均値と比較して) 明らかに黒字だと思うが、その殆どはこのような出会いがあったからだ。明らかに他と違う思考をしていると、普段会えない様な方との出会いも多くなる様に思える。

私自身は、私の様に「メインストリームから少し離れたことをする人間」というのは、集団の中に一定以上存在すると考えている。1000人程度いれば、そのうち1人ぐらいは私の様な人間がいても不思議ではないだろうという思考だ。私が腐ったりしないでここまで来れたのは、友人に恵まれたというのも大きいが、他にも一定数の人間から「放っておかれた」のも影響していると思う (つまり私がネガティブなシグナルに気がつかない程の距離を取っていた)。その人の事が気に入らないなら、手を出すのではなくて、せめて放っておいてほしい。

沖縄滞在中に友人から言われた言葉に「出る杭は打たれるけれど、出過ぎている杭は誰も打つ事ができないんだよね」というものがある。その友人に言わせると、本文最初に紹介した様なことを言う人間は最近減ってきたらしい (単に私が沖縄にいないからとか? しかし私のことを知っている人は未だに知っているだろう)。まだ私の名前はあまり知られていないだろうが、もし将来有名になってどこかで話す機会を持ったら、上の様なことを話してみようかと今からワクワクしている。

# ドイツの大学院にいたときも少し変わった人間としてみられていたようで、「あなたが日本人だというのにちょっとビックリ」と何度か言われた記憶がある (あ、この台詞はブラジルでも言われた)。ま、そういうことなんでしょう。

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2010 年 11 月 28 日 | カテゴリー: ひとりごと, 生活

事後報告になってしまうのだが、沖縄に帰省していた。今回は3週間近い休暇を取り、2週間以上沖縄に滞在していた。

そもそも今回沖縄に行こうと考えたのは両親の顔を見るため。まだ元気なので今のうちに会っておこうと考えたいた。折しもマイレージでウィーンから沖縄まで行ける事が分かったので、航空券を予約してあとは飛び立つだけ。

しかし実際に行こうとして、日本や沖縄にいる友人に連絡を取ってみると、色々とやる事が出てきた。以前何気なく話していた講演を行うことも決定し、沖縄にいる間にラジオへの出演も決定した。両方とも私自身が以前からやりたいと望んでいたことなので、それが実現してしまった私はやはり幸運なのだと考える。

結局大学では3回話をすることになり、ラジオにも出演させて頂いた。上の映像は私の出身である琉球大学の情報工学科で話したときのもの。実現してくれた関係者の方々に感謝致します。

今回の旅では色々なことを認識する事ができた。一番衝撃的だったのは沖縄にいるにも関わらず異国にいる様に感じた事だろう。当然周りの人は日本語を話すし、どこに何があるかも (出身地なので) 分かっているのだが、何故かブラジルにいた時に感じたときの感覚を覚える (具体的にそれが何だと記述する事はできないのだけれど)。自分でもたまに何人なのか分からなくなるときがあったのだが、こういう感覚を覚えたのは初めてだった。

両親と時間を過ごすのが今回帰省した主目的なだけあって、両親とは色々なところに行った。個人的にはどこに行っても良かったのだが、結果として色々なところにドライブした。私はオーストリアの運転免許証を取得する際に、日本の免許証を渡しており、今回国際免許証を取得する時間的な余裕も無かった。従って常に誰かに車を運転してもらっていたのだが、次回は (少なくとも形だけは) 免許証を取っても良いかもしれないと考えた。

沖縄にいる友人と久しぶりに会ったのも楽しいものだった。宴会では私だけが特別楽しんでいたかも知れないが、これは別に今始まった事ではないのであまり気にしていない。かなりの人に「太ったね」と言われてしまったので、オーストリアに帰ってからは少し絞っても良いかもしれないと考える様になった。今回は周到な連絡を行う事ができなかったため、会う事のできなかった友人も何人かいた。次回はもう少し早めに連絡を行えればと思う。

久々の日本ということもあって、色々なものを購入した。ここぞとばかりに一定数の書籍を購入したのだが、その他にもカイロや (小さな) 歯ブラシなど、多分日本に住んでいる人から見たら「何故そんなものを..」と思う様なものも大量購入した。他にも (ヨーロッパには私のサイズが無くて困る) 衣類も数点購入した。特に書籍は船便で郵送したのだが、今から届くのが楽しみである。100冊ぐらいは箱の中にあると思うので、全部読み切るにはある程度の時間が必要だろう。

沖縄を出発する直前に母親から言われた、「こっちに贈り物として何か送るぐらいなら、あなた自身が沖縄までやって来なさい」という言葉をオーストリアに帰ってきた今でも思い出す。来年は世界のウチナーンチュ大会も開催されるらしいし、また行く事を考えても良いかもしれない。

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2010 年 10 月 16 日 | カテゴリー: ひとりごと, 生活

現在使っている iPod は早いもので3台目になる。約2年前に東京で買った iPod nano 4G だ。ホイールも付いていて、動画再生を行うことができ、(私には必要ない) ビデオ録画機能も付いていないというもの。個人的には非常に気に入っている。

最近 iPod nano 6G が発売されたが、どうも「欲しい」という気持ちにはならない。タッチスクリーンの画面「だけ」で操作しようとすると、どうしても iPod を取り出したり、見なければならない。個人的にはそれよりもホイールで済ませてしまう方が好みに合っている。実際に iPod nano 6G を買うぐらいなら、新しい iPod shuffle を買っていたと思う。

2年ほど前に購入した iPod nano 4G だが、そろそろ電池の消耗速度が早くなってきた。こうなることは購入当初から予想できていたのだが、「もしかしたら交換の対象にならないだろうか」と考えていた (実はこのことまで考えて Apple Care Protection を購入していた)。オーストリアの Apple に電話して事情を説明すると、特に問題なく交換を行えるとのこと。更に交換してくれるのは (当然だが) iPod nano 4G。色も同じものになるとのことで、個人的には非常に嬉しかった。

実は日本からドイツに留学する際にも同じようなことを考えた。現地でパソコンを購入しようとしても、ドイツ国内で販売されているパソコンの大半はドイツ語配列のキーボードだったりする (そして税金の関係で、同スペックのマシンでもドイツの方が割高になる)。日本から購入したパソコンを持って行こうと考えたのだが、結局 Apple の MacBook を持っていった。決定の決め手になったのが「あちらでもハードウェアのサポートが受けられる」というもの。実際2度ほど現地の小売店にお世話になった。サポートでは色々と文句を言われる事が多いという印象の Apple だが、このような「世界対応」は個人的に評価されても良いと思う。

# ちなみに日本のあるメーカーが作っているパソコンを修理にだそうとすると、一旦日本に送り返す必要があるとの情報を当時読んだ記憶がある。最悪同じモデルに HDD を入れ替えれば済むだけの話なのだと思うのだが、それだけのリソースを世界の各地域に常備している体制には無いのだろう。そう言えば panasonic の let’s note は個人的に注目していた機種だったのだが、英語配列のキーボードモデルを入手するのが難しそうなので購入対象から除外したという記憶もある。

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2010 年 10 月 10 日 | カテゴリー: 生活

今私が住んでいるウィーンの住居は、もともと会社が用意したもので、最初は「数か月から半年ぐらいしたらどこかに引っ越すんだろうなぁ」と考えていた。あれからそろそろ1年近くになるのだが、私はまだ引越しをする準備すらしていない。

今住んでいる場所だが、住めば住むほど居心地が良くなっている。会社への通勤に地下鉄一本 (更に徒歩による距離は殆ど無視できる程度のもの) という立地条件もあるし、同じ建物に住んでいる友人も増えてきた。そして先日更に新しいテーブルとカウチが部屋の中に登場した。

最初は「〜売ります」という広告を建物の中で見たのがきっかけ。次の瞬間に電話をして、持ち主の部屋まで行き、現物を見せてもらい、その場で前金を払う。全ての作業を行うのに90分もかからなかったと思う。多分 Amazon よりも簡単だと思う。

家具の移動はそれから更に後になって行われた。彼らも家具の移動に協力してくれ、価格の面でも非常に魅力的なものだった。テーブルと一緒にあったカーペットも結局一緒にもらったのだが、これだけのものを普通に揃えようとすると、私が払った金額の3〜5倍ぐらい払う必要があるのではないかと想像する。

既に部屋の中にあった家具の位置を変更する必要があったのだが、1時間後には、より読書に適した環境になったと思う。Kindle もあることだし、これからどのぐらいの頻度で本屋に行くのだろうか…。

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2010 年 9 月 27 日 | カテゴリー: その他, 生活

最初にお茶をやろうかと思ったのは今から5年程前の事だ (恐ろしいもので、あれからもうそんなに時間が経っている)。「ドイツに行くのなら、茶や花などをやっておくべきだろう」と言ってくれた友人の一言でやってみようという気になった。

沖縄にいた頃は1年弱程点前の稽古をしていた。ドイツに行ってからは稽古ができる場所など無かったのだが、それでもたまに (密かに) 点てていたりした。2年間ほどでドイツでの留学を終え、日本に帰ってきたのだが、何故か稽古には戻らなかった (実はその時住んでいた場所から少し歩いたところに表千家の看板を出している場所があるのは知っていた。単に横着していたのだろう)。

日本に帰ってきてから1年と少しでまたヨーロッパに戻ってきた。ウィーンに来てしばらくは、新たな生活や仕事に慣れようとしていたのだが、しばらくすると余裕も持てるようになってきた。そこで「折角だからまたお茶をやりたい」と思うようになった。

探してみると、ウィーン市内でも教えている場所があるらしいということを知った。なんとか先生に連絡を取り、最初はどういうものなのか簡単に見学させてもらい、その次から稽古ということになった。今から数カ月前のことだ。

その後稽古は順調に進んだ。稽古を始めてしばらくすると、「9月にお茶会を開く」という話が聞こえてくる。勿論忘れていることも多かったのだが (そしてそこまで学ぶのが速かったわけでも無いのだが)、できることならそこで出たいと考えていた。実際のお茶会の1週間前から集中的に練習して、どうにかカタチになるようなところまで持っていくことができた。練習と言っても、半分以上は自分の頭の中で完結する「イメージトレーニング」というものだ。これをしっかりやるだけで、かなり違ってくるというのが私の感想。

それにしても最初のお茶会を日本国外でやることになるとは思わなかった。全てができている訳ではなく、反省点も多い点前だったが、それでも私の中ではマイルストーンと言うことができるだろう。今から少し来年が楽しみだったりする。

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2010 年 9 月 5 日 | カテゴリー: ひとりごと

週末は (その言葉の定義通り) 毎週やってくるのだが、毎週金曜日になると何をしようか迷うことになる。今週末は久しぶりにクローゼットからスーツを取り出して美術館に行くことにした。恐らく最後にスーツを着たのは半年以上前だろう。

美術館などでネクタイにスーツという出で立ちで歩いていると、よく人から声をかけられて質問される。どうやらそこの案内員だと思われているようだ。自分自身の姿を鏡で見てみると、確かにそのように見えてしまう。

目的のものを見たのでそろそろ帰ろうかと考えていると、どこかで見た人を見つけた。なんと私の (日本の) 出身大学である琉球大学の先生がウィーンに来ていた。声をかけてみると、(在学時には学部も違っていたのだけれど) 向こうも私のことを覚えていてくれた。ちなみに後で「イヤホンしているしスーツだったからセキュリティーの人かと思った」と言われる。ごもっともです。

当然色々と話をしたいので、一緒にカフェに行くという約束を取り付ける。スーツも着ているし、歩きながら建物の説明などを簡単に行う。気分は半分観光ガイドだ (折角ウィーンに来ているのだからということで、ベタな選択だがホテルザッハーに行くことにする)。

個人的に面白かったのはそこでの会話。日本から来る情報はインターネットである程度手に入れることはできるのだが、どうしても断片的なものになってしまう。以前見たニュースで少し気になったことについて質問してみた。

質問というのは、最近の (日本の大学にいる日本の) 学生について。以前「学生は国外へ留学したいとは考えていない。社会人になっても、転勤等で国外へ異動したくは無いと考える人間が過半数」という記事を読んだのだが、実際の肌感覚を教えてもらいたかった (大学で教鞭を取っているのだから、最前線に居ると言って間違いないと私は考える)。

返ってきた答えはある程度予想通りというもの。学生もそうだが、学生の親もできれば沖縄 (これは「少なくとも日本国内」と言い換えても良いかも知れない) に留まってもらいたいと考えているらしい。確かに工学部の私の周りにも「親は沖縄に残ってもらいたいと考えている」と同級生から何度か聞いた記憶がある。

社会の中にある要素 (e.g.: お金や情報、モノや仕組み、パラダイムなど) で一番変わりにくいのが人間そのものだと私は考えている。上のような考え方が変わるには相当な時間や状況の変化が必要なのだと予想する (沖縄では戦前大規模な海外移民や出稼ぎがあったが、それは経済的な理由によるものが殆どだろう。同じようなことが将来起きないという保証はない)。

勿論こちらからの質問だけではなく、私の近況や、普段考えていることなどについても話したのだが、私のような存在は稀だと何度も言われた。確かに周りを見ても同じようなパスを取った人はあまり知らないが、どうやら英文学の様な「言語を専門に勉強している」学生でも、そのまま海外に住み着いてしまうという人間は少ないらしい (私の記憶が間違っていなければ、最近では全くいないと言われた)。私も自分自身の将来がどうなるか分からないが、何かの機会があるときには自分自身の考えや、どのようにしてその場所まで来たのかを説明できる様にしておくべきだろう (それが何らかのかたちで次の世代への糧になることを望む)。

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2010 年 9 月 4 日 | カテゴリー: 生活

最近ウィーンは寒い。涼しいという表現は恐らく適切ではなく、少なくとも私にとっては寒いと感じる気温だ。具体的には一日の最高気温が10度台後半で、最低気温が10度を下回る程度。

ウィーンは気温が変わりやすいと同僚からは聞かされていた。ある日25度あっても、次の日には10度台前半というのもありうる (そして実際にあったように記憶している)。しかし9月になり、気温もこれだけ下がったのだから、今年はこれから夏のような気温 (25度以上程度) になることは無いだろうと考える。

面白いと思ったのは身体の反応で、気温が急激に変わった直後から、身体の調子も変わってきた。特に「調子が悪い」という程でも無いのだが、だるけを感じたり、普段以上に睡眠時間が長くなるのが分かる。恐らく身体が新しい状況に対応しようとしているのだろう。こういう時は無理はしないで、できるだけ休んだほうが良いと判断した (いつもであれば職場から帰ってきて、読書をしたりするのだが、今週はあまりそういうこともしなかった)。

積極的に休むという判断が良かったのかは分からないが、今のところ特に風邪などをひいたりすることなく生活できている。「帰ってきたら、手洗い・うがい」と幼年期に言われていたのだが、今になって (ようやく) 積極的にその実践をしている。

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2010 年 8 月 27 日 | カテゴリー: ひとりごと

友人が「どこでもドア」が欲しいと言っていたので、それについて少し考えてみた。どこでもドアとは、ドラえもんに出てくる未来の道具で、離れた位置に瞬時に移動できるというもの.. とか書いていたら Wikipedia に記事があることを発見。

科学的に、または物理的にどこでもドアが実現可能かという話をここでしたいのではなく、私が考えているのは、「そもそも何故どこでもドアが欲しいのか?」ということ。

そもそも何故人は「どこでもドアが欲しい」と言うのだろうか? 勿論その必要があるからだろうが、その大部分は社会的 (つまり他者との関係) な理由では無いだろうか。「どこでもドアがあれば、遅刻せずに済む」と言う人は、同僚や顧客という他人との関係から欲しいと考えているだろうし、「どこでもドアがあれば、週末海外旅行に行ける」という人は、そういう制約から欲しいと考えているのだと想像する (自由に時間を使うことができて、自由なお金を持っている人が旅行のためにどこでもドアが欲しいと言うだろうか?)。

仮にどこでもドアが本当にできて「しまったら」どうなるだろうか? それはグローバル化の究極の形の1つだろう (なにせ輸送コストがかからないのだ!)。当然競争は今よりも更に激しくなるのでは無いだろうか。どこでもドアを使って行きたい場所に行けるようになったのだが、今度はその時間を工面するのが難しくなってしまう。今のところ人間1人が地球の裏側に行くには、24時間程度必要なはずだが、これが2時間や20分になったらどうなるだろうか? そんな状況で、1時間という「貴重なリソース」を余暇に使う勇気や力を持った人はどれほどいるのだろうか? それ以前に「1時間」がとても貴重なリソースとなっている世の中に我々はそもそも住みたいのだろうか?

本当に求められているのは、「どこでもドア」ではなく、「どこでもドアのようなものが必要が無い生活」のほうでは無いかと、勝手に想像してしまった。

# 勿論これは私の勝手な想像で、私の友人がどのような意図を持って「どこでもドアが欲しい」と言ったかは知らない。

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2010 年 8 月 26 日 | カテゴリー: ひとりごと

少し前の話になるのだが、ドイツまで遊びに行ってきた。目的は旧友に会いに行くため。早いもので、彼とは6年程の付き合いになる。ドイツで会ったり日本で会ったりしていたのだが、今度はアジアに行くらしい。恐らくまたしばらく会えなくなるだろう (今までもそうだったのだけれど)。

驚いたのはその気軽さ。確かに法律上、オーストリアとドイツは別の国なのだが、同じ EU 圏内ということもあり、移動はかなりスムーズに行える。週末遊びに行くということで話していたのだが、航空券も安く買えてしまう (格安航空券ということで、往復で200ユーロ程だった。恐らく沖縄−東京の往復チケットよりも安いだろう)。私は身分証がパスポートになるので、空港では当然パスポートを提示する必要があったのだが、他の人はそれすらやっていないように見えた (他の書類で代用している)。

近くの空港まで行き、そこから電車で友人のいる街まで行く。6年前に私はここにいたのだが、あまり変わっていないのに驚いた。そこに来ている顔ぶれも面白いもので、私のようにヨーロッパで働いている人間もいれば、地元の大学で勉強している人間もいる。一部の人とこれからの将来について話す機会もあったのだが、あまり考えていることに差は無いということに少し驚いた。

帰ってきたのは日曜日の夜。確かに国外まで行ってきたのだよなぁ、と頭では分かっているのだが、感覚的には国内旅行と変わらなかった。そう言えばドイツ国内で話されているドイツ語が、殆ど理解できたのも少し驚きだった。オーストリアのドイツ語にはまだ慣れきっていないようだ。

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