DAAD のお世話になりながらドイツの大学院に行き、そこを修了したのが2008年。日本の学部では情報工学を学び、ドイツでは Computational Linguistics を学んだ。早いもので、あれからそろそろ2年間になる。その後私は日本の企業に就職し、1年ほど働いた後に今の職場を見つけ、去年の2009年の12月からウィーンにある会社で働いている。
私は高校生の頃にアメリカに留学していた。2000年から2001年にかけての頃で、まだ日本 (少なくとも私の出身地の沖縄) では ISDN (ADSL ではない) という言葉が普通に使われていた時代だったと記憶する。私はテキサスにいたのだが、そこのインターネット環境というのもダイアルアップ方式 (つまり普通のアナログ電話回線) だった。お世話になっていた家庭にインターネット環境が導入され、画面上に日本語の文字が表示されたのに感動したのを覚えている。周りに日本語を話す人は皆無で、日本語の文字も持参した本に書かれているだけという状況がその感動を大きくしたのだろうと想像する。
あれから10年ほど経った。確かにオーストリアにいて日本語の書籍を手に入れるのは楽ではない (入手は不可能では無いのだが、日本国内で発売された本を買うように気軽には行えない)。しかし今では、日本語のオンライン記事を読むどころか、日本国外にいながらにして、特別な装置などなしに日本語で情報発信することができる (もはやインターネット環境やパソコン、携帯電話は特別な機器などではない)。
日本国外で日本語も読み書きできるが、日本の中にいながらも英語などの外国語で書かれたコンテンツにアクセスすることができる。今ではそれが当たり前の様に感じられるかも知れないが、インターネットが普及する以前の外国語コンテンツのメディアと言えば、雑誌を含む洋書か衛星放送だったはずだ (私は米軍基地からのラジオ放送をよく聴いていた)。今ではインターネット経由で簡単に (ほとんどの場合無料で) 情報にアクセスすることができる。
情報やコンテンツにアクセスするために、世界のどの地域にいるかが、以前ほど重要では無くなっている。そういう意味では物理的なモノのほうが、(重量が存在するため) スタートからゴールまでの距離をより意識しなければならないし、モノの移動だけで大きな市場が生まれている。逆に情報のやりとりをするときに意識せざるえないことは、その情報が書かれている言語を理解することができるかや、電話する相手の現地時間など、これまであまり考えなくても良かったことになる。世界はフラット化しているかも知れないが、それでも地球は丸いのである。
結局何が起こっているのだろうか?一言で言えば、「アクセスが容易になった」ということだと私は考える。国外に移動することが今までに無いほど楽になり、中国で生産された衣類を多くの人は着ながら、投資家は常により良い投資先を (文字通り世界規模で) 探している。以前では物理的な障壁や、技術的な問題により、これらを実現することができなかったが、今ではテクノロジーにより、我々はより容易に (情報のやりとりから、資本の移動や物流を含めた広義の) コミュニケーションの壁を通過することができるようになった。
何が変わっていないのだろうか?その中心にある人間の考え方が一番変わっていないと私は思う。人が考え方を変えるには時間がかかるし、場合によっては世代交代が必要な場合もあるだろう。それでは我々の未来の姿とはどのようなものになるのだろうか?
コミュニケーションが容易になった分だけ、コミュニケーションの末端 (ピア) 同士のやりとりが、間を介さずにより容易に行える様になり、その結果、個人が重要になるというのが私の予想である。今までは決して出会うことの無かった人たちに、今では (恐らく直接では無いにしろ) 会うことができるようになっている。今まで以上に、何をやっている「個人」なのか、どういう意見を持った「個人」なのかが重要になってくる (その評価を行うのが今までに無いほど楽にできるため)。
それと共に、1つの側面からだけで個人を捉えるのが今まで以上に難しくなるだろう。コミュニケーションが容易になったということは、同じ人間が、全く異なる社会活動を営むこともできるようになるということだ (例えば企業で働きながら、ボランティアの翻訳とプログラミング活動を行ない、たまに新聞に記事を書く — 全て私のことです)。「何をされているのですか?」という質問が職業を必ずしも意味しなくなるし、もしかしたら “What do you do for living?” という質問も職業とは関係の無い文脈で使用されることが一般的になるかも知れない。そういう意識を持ちながら、例えば「連帯責任」という言葉がどれほどの意味を持つのか私は疑問に思うし、社会的に責任のある職業にいる人に、今までのような倫理観が求められるかも分からない。
良い時代になったものだと思う。
掲載日付 : 2010 / 11 (Echo)
