何故どこでもドアが欲しいのか?

2010 年 8 月 27 日 | カテゴリー: ひとりごと

友人が「どこでもドア」が欲しいと言っていたので、それについて少し考えてみた。どこでもドアとは、ドラえもんに出てくる未来の道具で、離れた位置に瞬時に移動できるというもの.. とか書いていたら Wikipedia に記事があることを発見。

科学的に、または物理的にどこでもドアが実現可能かという話をここでしたいのではなく、私が考えているのは、「そもそも何故どこでもドアが欲しいのか?」ということ。

そもそも何故人は「どこでもドアが欲しい」と言うのだろうか? 勿論その必要があるからだろうが、その大部分は社会的 (つまり他者との関係) な理由では無いだろうか。「どこでもドアがあれば、遅刻せずに済む」と言う人は、同僚や顧客という他人との関係から欲しいと考えているだろうし、「どこでもドアがあれば、週末海外旅行に行ける」という人は、そういう制約から欲しいと考えているのだと想像する (自由に時間を使うことができて、自由なお金を持っている人が旅行のためにどこでもドアが欲しいと言うだろうか?)。

仮にどこでもドアが本当にできて「しまったら」どうなるだろうか? それはグローバル化の究極の形の1つだろう (なにせ輸送コストがかからないのだ!)。当然競争は今よりも更に激しくなるのでは無いだろうか。どこでもドアを使って行きたい場所に行けるようになったのだが、今度はその時間を工面するのが難しくなってしまう。今のところ人間1人が地球の裏側に行くには、24時間程度必要なはずだが、これが2時間や20分になったらどうなるだろうか? そんな状況で、1時間という「貴重なリソース」を余暇に使う勇気や力を持った人はどれほどいるのだろうか? それ以前に「1時間」がとても貴重なリソースとなっている世の中に我々はそもそも住みたいのだろうか?

本当に求められているのは、「どこでもドア」ではなく、「どこでもドアのようなものが必要が無い生活」のほうでは無いかと、勝手に想像してしまった。

# 勿論これは私の勝手な想像で、私の友人がどのような意図を持って「どこでもドアが欲しい」と言ったかは知らない。

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