同郷の人間も外人 — 近くて遠い海外

2010 年 6 月 19 日 | カテゴリー: コラム

サンパウロには1週間の滞在ではあったが、その間、現地で暮らす彼ら日系人と話していて「外なるもの」に排他的な日本の姿をそこでも垣間見ることができた。
ブラジル国内で日系というと、少なくとも私の目には尊敬されることはあれ、その逆は無いように見えたし、彼らも自身が日系人であることに誇りを感じているようだった。
中にはブラジルから日本に行ったことがあるという人もいたのだが、彼らと話していると共感とともに残念な気持ちになってくる。
彼らの中には日本語を学習するには必ずしも最適とは言えない環境の中にいながら簡単な会話ぐらいなら私と日本語で行うことができる人もいた。意識して努力しないとこういうことはできないだろう。
彼らのような日系人、つまりブラジルで生まれ育った人が日本に行くと、たとえ両親が日本人であったとしても、満足な日本語が話せなかったり、立ち居振る舞いが違うということで、「外人」として見られてしまうらしい。実は私も過去に「外人に見られる」という似たような思いをしている。
しかしそこまで積極的に「内と外」を分けてしまって良いのだろうか?沖縄の外の話だが、今では東京23区内で生まれてくる人の1割は両親のどちらか(または両方)が外国人だそうだ。日本の中にいる人が好むかどうかにかかわらず、外から来る人やモノの流れを止めることはできないだろう。通常そこには何らかの交流が生まれると思うのだが、自分たちと遠い同郷の人間に対しても「外人=外の人」という見方をしてしまう姿勢に私は危機感すら覚える。

掲載日付 : 2010 / 05 / 24 (琉球新報)

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