内と外を分ける危険 — 近くて遠い海外

2010 年 6 月 19 日 | カテゴリー: コラム

前回までブラジルで感じた日本の「内と外」を積極的に分ける姿勢を紹介したが、それに対してなぜ私が危機感を覚えているのか説明しようと思う。
現在の日本に関する記事を読むと、閉塞感ばかりが目につく。硬直した労働市場や年齢別の人口構成比がその原因として考えられるのだろうが、日本(や沖縄)の内向きな志向もその1つだと私は考える。
ルネッサンスがスペインやイタリアで始まった様に、時代の変化というのは異なるものと接している場所で発生する。それは今までの考え方の枠組みを超えたものに日々接することでイノベーションが生まれるからだ。
日本は長い間工業製品により豊かさを享受してきた。しかし今や中国が「世界の工場」と言われ、日本企業も海外での採用を増やそうと躍起になっている時代である。そんな中、経済的に既に豊かになった国や社会に期待されるのは今までの様な「横並びで皆が一定以上の能力を持っている」状況ではなく、「秀でた者が積極的に自分の能力を伸ばし、活躍することができる」環境では無いかと考える。1つのアイデアが文字通り世界を大きく変えるのである。必要なのは大規模な工場ではなく、柔軟な思考を行うことができる人間なのだ。
沖縄は歴史的に中国や大和、そしてアメリカの影響を強く受け、「ちゃんぷるー」という表現がピッタリの環境が既に存在する。しかし沖縄にいる私の同世代の人たちや学生と話をしていても、まだ海外まで目を向けている人は少ない様に思える。私がまだ日本にいた頃、国外にある会社に就職すると周りの人に告げたところ、「私にはできない」と何度か言われた。恐らく沖縄であっても同様のことを言われたと想像する。その理由として考えられるのが「外国というのは外の世界だから」という意識だろう。
そんなに簡単に沖縄や日本以外の場所を「外の世界」として区切ってしまって良いのかと考える。内と外を積極的に区切ることで、外への関心が薄れたり、(実際は近くなっているにも関わらず)心理的な距離が遠くなってしまう。
外国語の学習や海外旅行、留学など、外国との心理的な距離を近づけるためにできることは色々あると思う。私が考えるその第一歩は、単純に「未知のものや外の世界に対して興味を持つ」ということだ。そこから自ずと異なる言語や文化を学ぼうとする意識が芽生えると考えている。そんな姿勢がその人や社会全体を豊かにするのではないかと考える。

掲載日付 : 2010 / 05 / 31 (琉球新報)

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