2010/08/27

何故どこでもドアが欲しいのか?

友人が「どこでもドア」が欲しいと言っていたので、それについて少し考えてみた。どこでもドアとは、ドラえもんに出てくる未来の道具で、離れた位置に瞬時に移動できるというもの.. とか書いていたら Wikipedia に記事があることを発見。

科学的に、または物理的にどこでもドアが実現可能かという話をここでしたいのではなく、私が考えているのは、「そもそも何故どこでもドアが欲しいのか?」ということ。

そもそも何故人は「どこでもドアが欲しい」と言うのだろうか? 勿論その必要があるからだろうが、その大部分は社会的 (つまり他者との関係) な理由では無いだろうか。「どこでもドアがあれば、遅刻せずに済む」と言う人は、同僚や顧客という他人との関係から欲しいと考えているだろうし、「どこでもドアがあれば、週末海外旅行に行ける」という人は、そういう制約から欲しいと考えているのだと想像する (自由に時間を使うことができて、自由なお金を持っている人が旅行のためにどこでもドアが欲しいと言うだろうか?)。

仮にどこでもドアが本当にできて「しまったら」どうなるだろうか? それはグローバル化の究極の形の1つだろう (なにせ輸送コストがかからないのだ!)。当然競争は今よりも更に激しくなるのでは無いだろうか。どこでもドアを使って行きたい場所に行けるようになったのだが、今度はその時間を工面するのが難しくなってしまう。今のところ人間1人が地球の裏側に行くには、24時間程度必要なはずだが、これが2時間や20分になったらどうなるだろうか? そんな状況で、1時間という「貴重なリソース」を余暇に使う勇気や力を持った人はどれほどいるのだろうか? それ以前に「1時間」がとても貴重なリソースとなっている世の中に我々はそもそも住みたいのだろうか?

本当に求められているのは、「どこでもドア」ではなく、「どこでもドアのようなものが必要が無い生活」のほうでは無いかと、勝手に想像してしまった。

# 勿論これは私の勝手な想像で、私の友人がどのような意図を持って「どこでもドアが欲しい」と言ったかは知らない。


2010/08/26

国内旅行気分の国外旅行

少し前の話になるのだが、ドイツまで遊びに行ってきた。目的は旧友に会いに行くため。早いもので、彼とは6年程の付き合いになる。ドイツで会ったり日本で会ったりしていたのだが、今度はアジアに行くらしい。恐らくまたしばらく会えなくなるだろう (今までもそうだったのだけれど)。

驚いたのはその気軽さ。確かに法律上、オーストリアとドイツは別の国なのだが、同じ EU 圏内ということもあり、移動はかなりスムーズに行える。週末遊びに行くということで話していたのだが、航空券も安く買えてしまう (格安航空券ということで、往復で200ユーロ程だった。恐らく沖縄−東京の往復チケットよりも安いだろう)。私は身分証がパスポートになるので、空港では当然パスポートを提示する必要があったのだが、他の人はそれすらやっていないように見えた (他の書類で代用している)。

近くの空港まで行き、そこから電車で友人のいる街まで行く。6年前に私はここにいたのだが、あまり変わっていないのに驚いた。そこに来ている顔ぶれも面白いもので、私のようにヨーロッパで働いている人間もいれば、地元の大学で勉強している人間もいる。一部の人とこれからの将来について話す機会もあったのだが、あまり考えていることに差は無いということに少し驚いた。

帰ってきたのは日曜日の夜。確かに国外まで行ってきたのだよなぁ、と頭では分かっているのだが、感覚的には国内旅行と変わらなかった。そう言えばドイツ国内で話されているドイツ語が、殆ど理解できたのも少し驚きだった。オーストリアのドイツ語にはまだ慣れきっていないようだ。


2010/08/08

オーストリアの運転免許証

表題にあるように、ついにというか、ようやくこちらの運転免許証を取得した。やってみれば簡単な事だったのだが、実は個人的には少し長い道のりだった。

日本では数年おきに運転免許証の更新を行う必要があるが、こちらではそういう必要は無い。これはオーストリアだけではなく、ドイツでも同じである (なので、60才のおばあちゃんが持っている免許証に20才の女性の写真があったりする)。当然有効期限の無い方の免許証を取得したいのだが、私がドイツにいた頃だと、そこまで簡単に決断することでは無かった。

 - そもそもドイツには留学で来ているのであって、あの時点では日本に帰る可能性もあった (実際帰ったのだが)
 - 日本でドイツの免許証を使おうとすると、
  - その免許証の翻訳が必要
  - 更に、免許証の有効期限は、日本に上陸してから1年間
  - その後再度免許証を有効にするには、日本から連続して3ヶ月以上離れる必要がある

ドイツに留学していた当時、私は車の免許証を持っていなかった (留学後、日本に帰国して教習所に通い始めた)。ドイツで免許証を取得するか考えたのだが、上のような状況があったので (この状況そのものは今でも変わらないが)、結局日本に帰って取ることにした。

そして今私はオーストリアにいる。いつまでここにいるか分からないし (つまり留学とは訳が違うし)、気がついたらもう免許証の更新時期が近づいている。そういうわけで、できるうちに免許証の切り替えをやっておこうと考えた。ちなみにオーストリアと日本間の場合、オーストリアの国際運転免許証を持っていれば、日本でも運転することができる。こちらの国際運転免許証は機会があればそのうち取りたいと考えているが、さしあたってそこまで緊急でもないとも考えている。

必要な書類は以下のとおり :

 (A) 申し込み用紙
 (B) 写真
 (C) 医師の診断書
 (D) 運転免許証の翻訳
 (E) 申込料金
 (F) 他にもあるのだが、ここでは割愛

日本の運転免許証からの切り替えの場合、(ラッキーなことに) 実技試験を行う必要が無い。というわけで、必要な書類を集めて、該当する役所に持っていく。免許証の翻訳は、登録された翻訳者でなければならないとの事だったので、翻訳者を紹介してもらおうと大使館に連絡してみると、なんと大使館そのものがそのようなサービスを提供しているということが分かった。日本の運転免許証を預けて、次の日には受け取ることができた。

問題だったのは医師の診断書だろうか。登録されている医師に直接連絡を行ないアポイントメントを取り、最終的に診断書を受け取るのだが、なかなか連絡を取ることができない。ちなみに登録されている医師のリストは、上の役所に貼り出されていた。

何人目か (多分10人目ぐらい) で、どうにか医師の1人と連絡をとることができたのだが、その人は「それじゃあ今日の午後4時はどう?」と訊いてくる。仕事が速いですねぇ。なんとその日の午後5時には診断書を手にしていた。

Verkehrsamt という役所に行き、そこで必要な書類を全て提出。オーストリアの免許証の出来上がりは2週間後らしい。私は郵送してもらうことにした (再度役所に出向いて受け取るということも可能らしい)。実際には2週間経たないうちにアパートのポストに免許証が届いていた。なかなか優秀だという印象を受けた。

更に驚いたのは、その数日後に同じ役所から「数日前に送ったんだけれど、届いてますよね? 届いてなかったら連絡くださいな」という手紙が入っていた。同じ住所に送っているのだから、アドレスが間違っていたらそれまでだと思うのだが、ちょっとだけ感動した。

というわけで現在私の手元には当分使う予定のないオーストリアの免許証がある。そのうち思い出したら国際運転免許証について問い合わせをしてみよう。


2010/07/10

ダンスの検定試験

以前書いたとおり、ウィーンに来てからダンス教室に通っている。あれから今でもまだ通い続けているのだが、このたびようやく成果のようなものが出たので書いておこうと思う。

動画でも言っていることなのだが、普段行っているダンスレッスンとは別にダンスの認定試験があり、それに参加した。今私がいるのはブロンズコースで、この後シルバーにゴールドと続くことになる。今回私が受けたのはこのブロンズの認定試験。

試験そのものは最高得点で合格したので、言うことはないのだが、ここまで来るには色々なことがあったように思える。

 ー 最初に受けたのは初心者コース、その後ブロンズコースを始める。
 ー 初心者コースにいた頃は個人的に辛いことが多かった様な気がする。練習そのものを辛いとは感じないのだが、まだ慣れていなかったのか、うまくステップを踏むことができないし、それどころか忘れてさえいたりする (これは今でも忘れたりするんだけれど)。自分の現状とたどり着きたい目標点との差が激しすぎて、練習が終わったら自己嫌悪してたりした。
 ー 初心者コースで一緒にやっていたパートナーとも、コースが終わるとそれっきりになり、新たにブロンズコースでもパートナーを見つける必要に迫られた。
 ー 運良くブロンズコースでも男性パートナーを探している人がいて、その人と練習を続けていた。
 ー 最初のブロンズコースの練習が終わり帰ろうとすると、講師の人から「初心者コースで男性パートナーを探している人がいるんだけれど、こちらでもやりますか? お代はいただきません」と言われる。とにかく練習量を増やす必要があったのと、もう1度初心者コースを受けても良いとすら考えていたので、勿論快諾する。
 ー 2期目からは、練習も楽しくなっていき、思い通りに踊れるようになってきたというか、だんだんそれなりの形になってきたように自分でも思うことができた。

そしてブロンズコースの最後に検定試験 (のようなもの) があることを知り、その場で受けることを決定。8種目あるうちの4種目を選択することになっていたので、その4種目をその場で決める。試験の2日前から教室に残って (教室は夜になると各自練習したい人のために開放される)、目的の種目の練習をしていた。

何らかの結果を出すことができたのは良かったが、それ以上に (以前に比べて) 今は踊るのが楽しくなってきているのも嬉しい。


2010/07/03

高校からの古い友人

高校の頃の友人とオンラインで10年ぶりに再開した。

当たり前の話だけれど、10年前程は高校生をしていた。あの頃私は17才で、少し変わっていたが、定量的に評価できる部分では今ほど変わってはいなかった存在だったと思う (これは高校という組織の中にいた訳だから考えてみれば当然のことだと思うけれど)..。

確かに今ほど変わっていなかったと言っても、高校生時代は明らかにマイノリティーなタイプの人間であった。それでも特に問題なく高校や大学生活を送ることができたというのは、(今考えると) 単純に幸運だったのだろうと考える (特に私が所属していた大学の学科にいたっては、変人を褒め言葉の1つとしているのを自身のアイデンティティーの一部としている感さえある)。

マイノリティーの学生生活だったのだが、マイノリティーは私だけではなかった。他にも (想像するに) 同じような境遇の人間はいて、必然的にそういう友人関係は多くなっていった。もちろんゲームやコンピュータなどの事について話す人間もいたのだが、その中に1人、音楽をやっている人間がいた。

彼はベースをやっていたのだが、当然そういう話を我々がするわけはなく (してもあまり分かりません..)、エロ関連の話しかしたような記憶がない (具体的にはまだその頃私が話したネタを1つ覚えているのだが、ここで書くようなことでは無いと思う)。少なくとも彼とは他のコンピュータ関係 (と一括りにするのも問題あるだろうが) の人と話す様な内容について話した記憶は無いし、私はエロの会話を大いに楽しんでいた (と思う)。

そんな彼だが、私が高校3年のころにアメリカに行くことになり、帰ってきたあと連絡が途絶えてしまった (それについては反省している)。たまに何をしているのか考えることもあったのだが、連絡先を知らないのでコンタクトを取ることもできない.. という状況が10年ぐらい続いたことになる。

SNS の巡回をしていると、偶然彼らしい人を見つけてしまった。意図していなかっただけに素直に驚く。そしてすぐにメッセージを書いて送る。

翌日になるとその返事が友人リクエストとともに返ってきていた。お互い懐かしいなぁ、という感じ。彼は私がヨーロッパにいることにも驚いていたが、それまで (すなわち高校卒業から今まで) 海外経験が長くなっていることにも驚いたようだ (これは考えてみると確かにそうかも知れない)。

しかし個人的には彼の方も凄いと思った。彼は高校時代にやっていた音楽を未だに貫き通していた。

それに対して私はどうかというと、コンピュータ (?) からドイツ語を含む言語方面に行き、そっちの分野に進みはじめたまでは良いものの、その後一般的なソフトウェアエンジニアとして会社で働き始め、その1年後には何故かウィーンにて働いている。自分でもあまり言いたくないが、これだけ見てみるとキャリアに関してそこまで一貫性があるとは思えない (当然考えてこうしているのだが)。

今年の終り頃に日本に一時帰省する予定なのだが、その時彼と会ったらどういう話をするのだろうかと今から楽しみにしている。もちろんエロについても思う存分語るのだろうが、それ以外の部分も重要になるだろう。楽しみが1つ増えた。


2010/06/19

内と外を分ける危険 — 近くて遠い海外

前回までブラジルで感じた日本の「内と外」を積極的に分ける姿勢を紹介したが、それに対してなぜ私が危機感を覚えているのか説明しようと思う。
現在の日本に関する記事を読むと、閉塞感ばかりが目につく。硬直した労働市場や年齢別の人口構成比がその原因として考えられるのだろうが、日本(や沖縄)の内向きな志向もその1つだと私は考える。
ルネッサンスがスペインやイタリアで始まった様に、時代の変化というのは異なるものと接している場所で発生する。それは今までの考え方の枠組みを超えたものに日々接することでイノベーションが生まれるからだ。
日本は長い間工業製品により豊かさを享受してきた。しかし今や中国が「世界の工場」と言われ、日本企業も海外での採用を増やそうと躍起になっている時代である。そんな中、経済的に既に豊かになった国や社会に期待されるのは今までの様な「横並びで皆が一定以上の能力を持っている」状況ではなく、「秀でた者が積極的に自分の能力を伸ばし、活躍することができる」環境では無いかと考える。1つのアイデアが文字通り世界を大きく変えるのである。必要なのは大規模な工場ではなく、柔軟な思考を行うことができる人間なのだ。
沖縄は歴史的に中国や大和、そしてアメリカの影響を強く受け、「ちゃんぷるー」という表現がピッタリの環境が既に存在する。しかし沖縄にいる私の同世代の人たちや学生と話をしていても、まだ海外まで目を向けている人は少ない様に思える。私がまだ日本にいた頃、国外にある会社に就職すると周りの人に告げたところ、「私にはできない」と何度か言われた。恐らく沖縄であっても同様のことを言われたと想像する。その理由として考えられるのが「外国というのは外の世界だから」という意識だろう。
そんなに簡単に沖縄や日本以外の場所を「外の世界」として区切ってしまって良いのかと考える。内と外を積極的に区切ることで、外への関心が薄れたり、(実際は近くなっているにも関わらず)心理的な距離が遠くなってしまう。
外国語の学習や海外旅行、留学など、外国との心理的な距離を近づけるためにできることは色々あると思う。私が考えるその第一歩は、単純に「未知のものや外の世界に対して興味を持つ」ということだ。そこから自ずと異なる言語や文化を学ぼうとする意識が芽生えると考えている。そんな姿勢がその人や社会全体を豊かにするのではないかと考える。

掲載日付 : 2010 / 05 / 31


同郷の人間も外人 — 近くて遠い海外

サンパウロには1週間の滞在ではあったが、その間、現地で暮らす彼ら日系人と話していて「外なるもの」に排他的な日本の姿をそこでも垣間見ることができた。
ブラジル国内で日系というと、少なくとも私の目には尊敬されることはあれ、その逆は無いように見えたし、彼らも自身が日系人であることに誇りを感じているようだった。
中にはブラジルから日本に行ったことがあるという人もいたのだが、彼らと話していると共感とともに残念な気持ちになってくる。
彼らの中には日本語を学習するには必ずしも最適とは言えない環境の中にいながら簡単な会話ぐらいなら私と日本語で行うことができる人もいた。意識して努力しないとこういうことはできないだろう。
彼らのような日系人、つまりブラジルで生まれ育った人が日本に行くと、たとえ両親が日本人であったとしても、満足な日本語が話せなかったり、立ち居振る舞いが違うということで、「外人」として見られてしまうらしい。実は私も過去に「外人に見られる」という似たような思いをしている。
しかしそこまで積極的に「内と外」を分けてしまって良いのだろうか?沖縄の外の話だが、今では東京23区内で生まれてくる人の1割は両親のどちらか(または両方)が外国人だそうだ。日本の中にいる人が好むかどうかにかかわらず、外から来る人やモノの流れを止めることはできないだろう。通常そこには何らかの交流が生まれると思うのだが、自分たちと遠い同郷の人間に対しても「外人=外の人」という見方をしてしまう姿勢に私は危機感すら覚える。

掲載日付 : 2010 / 05 / 24


ブラジルの中にある日本 — 近くて遠い海外

距離は変わらないが、時間や必要経費を考えた場合、国外に行くのが以前に比べて易しくなっている。しかしその国の言葉が話せなかったり、文化的な差異を気にしてしまうなどの、内面的な障壁の高さはあまり下がっていないように思う。
たまに沖縄に帰省するのだが、その度に「歯がゆい」と感じる。他にはない特殊な文化や歴史を持っているにもかかわらず、外にあまり目が向いていないように私には思えてしまう。モノをつくるのが全盛の時代が終わり、世界は多様性を求めるように思える時に、沖縄はこれからどこに向かっていくのだろうか? もちろん島に生まれ、島の中で一生を終えるのも悪くないと思うのだが、他に何の選択肢も知らないまま一生を終えても良いのか考えてしまう。これからのレポートで、日本以外の国をもっと身近に感じて、日本以外の国で生活を考える人が増えれば幸いである。

最近ブラジルに遊びにいく機会があった。目的は現地にいる(比較的最近その存在を知った)親類に会いに行くこと。その親類は戦前に沖縄からブラジルに移住して、既に5世まで誕生している。
ブラジルの首都ブラジリアは、政治の中心地であり経済の中心地ではない。南米で最大にして、ブラジル経済の中心地となるのはサンパウロになる。そこは同時に南米(そして恐らくは南半球)で日系人が最も多い都市でもある。サンパウロ市内ではおよそ1週間ほどお世話になった。ちなみにサンパウロに親類全員がいるわけではなく、リオデジャネイロやブラジリアなどにも住んでいる人はいる。その数既に80人以上になるらしい。
サンパウロ市内でもいろいろな発見があったのだが、印象深かったことの1つに日系人コミュニティーの大きさと強さがある。同じ日系人というだけで連帯感を持っているように思える。私と同世代の親類に連れられてサッカーの練習をしたのだが、コートにいた多くが日系人だった。言葉は理解できないのだが、一瞬「ここは日本なのではないだろうか」、と思ってしまった。

掲載日付 : 2010 / 05 / 17


2010/06/16

沖縄からの訪問者

数週間前の話になるのだが、沖縄にいる知人が私を訪ねて来た。正確にはツアーでヨーロッパまでやって来て、そのついでに会いましょう、というもの。

事前に集合の場所や方法などの打ち合わせをしていたのだが、はやり最初に合流する時が一番緊張した。これで会えなかったら多分最後まで会えないだろう、と考えているからだった。実際には特に問題などが発生する事無く合流することができた。こういう時に GPS と連動した iPhone の地図機能は偉大だと思う。

私も一日だけツアー客に加えてもらい観光を行った。真面目に観光したのは (ここにきて半年以上経つけれど) これが初めてなのではないだろうか。まぁ住んでいるのだから、そこまで急いで観光しようという気にもならないし、第一一人で観光するのも何か寂しいものを感じてしまう。

観光そのものは特に変わった事もなかった。ガイドの人は日本語を話す人だったのだが (生まれは日本らしいのだが、もはやそれだけでは日本人と言えない時代である)、話の内容がかなり面白い。今でも覚えている話には、

 - ウィーンの街中には公営カジノがあるが、オーストリア人がここで遊ぼうとすると、年間所得からどれだけ遊んで良いという上限が設けられるらしい。外国人に対してはそういう配慮は一切無し (当たり前だと思うけれど)。そしてそこで落とされたお金がオペラの上映費に充てられるらしい。
 - Schönbrunn 宮殿では舞踏会が開催されていたが、昔は電気も無かったので光は全てロウソクだった。しかしススが出るロウソクは使えない。そこでハチミツのロウソクを使っていたらしいのだが、これがものすごく高い。舞踏会の売り上げの半分ぐらいがこのロウソク代で無くなったらしい。
 - Sisi の愛称で親しまれている (というか、ウィーンの街中ではよく目にする) エリーザベト皇后だが、ウィーンでの生活には全然慣れなかったらしい。今で言う拒食症の様な症状になっていたとかなんとか。最終的にアナーキストに刺されて死ぬのだが、痛みを感じる事ができなくなっていたらしく、刺されたのが死因ではなく、そこからの出血多量が死因。
 - 実は今でも Schönbrunn 宮殿に住んでいる人はいる。文化財なので状態を保たなければならないのだが、それをするには人が中に住むのが一番良い。しかし燃えやすい素材でできているので、毎年何度かボヤ騒ぎがあり、その度に消防がやって来るらしい。ちなみに Schönbrunn のガイドは、ボヤ騒ぎが起こったときに、何も言わずに客を外に誘導することになっているらしい。

勿論ガイドの話は面白かったのだが、私がそれ以上に面白いと感じたのが、沖縄から来ている人たちの言葉だった。一言で言ってしまえば理解できないのだ。

私はもともと沖縄方言が話せる人間ではないのだが、沖縄にいた頃に付き合っていた人たちもどちらかと言うと標準語を話す人が多かったと思う。それにしても他の人たちが話をしているのを聞いて殆ど全くその内容を理解する事ができないというのには自分でも驚いた。

短い滞在だったのだが、知人は沖縄に帰っていった。次に会うのは私が沖縄に遊びに行く時だろうか。


2010/05/25

炊飯器との生活

少し前に炊飯器を買った。購入先は Amazon.de 。

今まで日本国外で炊飯器を(自宅で)使ったことは無かった。代わりに米を炊くには鍋を使っていたのだが、それでは少し油断すると吹きこぼれてしまう (特にヨーロッパは電気コンロが多く、温かくなる (そして冷める) のが遅い)。留学していた時はそれでも「まぁ2年間だしな」と (期間限定と言う意味で) 納得していたのだが、現在ウィーンにどれほどの間滞在するのか分かっていない状況なので、購入しても良いか、と思う様になった (他にも今の部屋の電気コンロが使いにくいというのも理由としてある..)。

ある程度予想していたことなのだが、炊飯器が届いてから食生活が大分変わった。当たり前だけれど、米の消費量が増えたのだが、それ以外にも自宅で食べる頻度というのが上がった。実はこの炊飯器、最低でも2合ぐらいからしか炊けないのだが (そしてこのことについては既に少し選択を誤ったと後悔しているのだけれど)、だからこそ「今夜炊いておいて、明日の朝も米を食べよう」という気持ちになる (そして実際食べる)。

米以外にも、野菜などを入れてスイッチを入れると、あとは自動的に食べられる状態にしてくれる。非常に楽だ。それだけで食事の品が一品増えるし、当然コンロも使えるので、前に比べてお皿の上にあがるものが少し複雑になった気がする (それでも今は色々なものを組み合わせて試行錯誤している状態なんだけれども)。

この炊飯器だが、「炊くため」だけの炊飯器である。タイマー機能も無いし、保温機能も私はあまり信用していない。しかし(?)だからこそ、こちらが「どれだけの量を何時食べるか」考えて炊くことになる。最終的に時間が経ってパサパサになってしまった米は炒めて食べる様にしている。こちらもなかなかイケる。試行錯誤していくのもそれなりい面白い。

39ユーロだったのだが、既にモトを取れる気分になってしまっている。勿論これから頻繁に使って、という前提あってのことだけれど。